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番組「女王イサベル」を見て

2012/03/23 20:38

 

NHK BS放送で「女王イサベル」を見た。

主題・・・「女王イサベル」--ヨーロッパの王家の物語

副題・・・「終の楽園アルハンブラ」

 

■プロローグ

 

馴染みのなかったイベリア半島の歴史に少し触れた思いがした。

辺境の地?スペインの王家が、ヨーロッパの歴史にこんなに関係が深かったとは思わなかった。

 

この番組の主題は、次のように解説されていた。

イサベル女王は、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐し、

最後の拠点アルハンブラを手に入れました。

 

異教徒を厳しく弾圧してきた女王ですが、

その女王が異教徒が作ったアルハンブラ宮殿を破壊せず

その地に自らを埋葬するよう遺言しました。

 

なぜ女王がアルハンブラを残したのか、

という謎に迫りつつ、その神秘的な美しさを描きます。

 

 

1、イサベルの前半生

イサベルはカスティーリャ王国の王女として生まれた。

「イサベル」という名前はよくある名前で、母親もイサベルであり、

長女にも「私の名を授けてイサベルと命名・・・」とあった。

(英語ではエリザベス、?国語ではエリザヴェート、なのだ)

 

父ファン2世は無能な王だったらしい。

「意志薄弱、優柔不断、政治手腕ゼロ

あらゆる文献にそのように書かれている

 

兄エンリケ4世も同じだった。

「王位とともに父の芳しくない性格を受け継いだ」と解説されていた。

 

■エンリケ4

 

1474年兄の死をもってカスティーリャ王になる。

夫フェルナンドとともにグラナダ王国攻略に乗り出す。

1491年アルハンブラが陥落し、グラナダ王国滅亡。

10年以上の歳月をかけた戦いだった。

戦いの詳細は語られていなかったが、華々しい戦いというより、

着実に包囲を狭めていく戦いだったのではないか、と思う。

 

 

1486年グラナダ北西60キロのモクリンに拠点を設ける

最後は補給路を絶ち、グラナダ王国は降伏した。

 

 

2、なぜアルハンブラ宮殿を破壊しなかったのか。

イサベルは、イスラム建築の極致と言うべきアルハンブラ宮殿を破壊しなかった。

それどころか自らの遺体をアルハンブラに埋葬するよう遺言した。

それは何故だろうか?

 

アルハンブラ宮殿の美しさに魅了され、破壊することが出来なかった。

と言ってしまうと、格好のつけすぎ、一面的、単なるロマンチックな言、だろう。

 

①破壊する政治的必要性がなかった。

イスラムの破壊は民衆向けのデモンストレーションであること。

アルハンブラは国民の目に触れないため、破壊する政治的必要性がなかった

 

②破壊するには惜しい完成された建築であった。

そのままで充分使うことが出来た。

 

番組では次のように解説されていた。

(アルハンブラ修復を担当する研究者談)

 

「アルハンブラは国民の目にさらされることのない私的な空間として使われたから、

壊す必要がなかったのです。

国民が目にする町中では、女王は意図的にイスラムの要素を排除してきました。

外に向けられた戦略的な破壊なのです」

 

 

3、イサベル女王の子孫

イサベル女王には5人の子供(14)があった。

不幸にも夭折し、ただ一人、次女ファナが残った。

このファナをキーマンにして、イサベル女王の子孫の動向はドラマティックである。

 

ファナはハプスブル家のフィリップ王子に嫁いでいたが、

精神を病み狂女と言われていた。

夫と父の王室内での権力闘争の板ばさみになったとも、

夫フィリップの浮気に嫉妬したとも言われる。

 

スペイン王国は風前の灯になる。

番組でイサベルの遺言状が紹介されていた。

「娘ファナへの不安に満ち満ちている」と解説されていた。

 

興隆を極めた王国が無能の後継者によってあっけなく崩壊する例は多い。

しかしスペイン王国は運がよかった。

ファナの子(イサベルの孫)カルロスとフェルディナンドが傑物だった。

カルロスは後の神聖ローマ帝国皇帝カール5世であり、

フェルディナンドは近代に至るオーストリア・ハプスブルグ帝国の始祖となる。

 

番組ではスペイン王国のその後について、このように解説されていた。

「イサベルの孫にいたって「スペイン王国はハプスブルグ家のものになる」、と。

その表現は少し的を射ていないと思う。

「イサベルの子孫がハプスブルグ家の当主になり、ヨーロッパの王室の中心になっていく」

と言うべきだろう。

 

ファナは精神を病んだがキーマンだったわけだ。

別の書籍ではこう書かれていた。

ファナの病状はひどくはなかったらしい。

日常は何もなく、こみいった政治の話になるとパニックとなるらしい。

面白いことにイサベルの母(ポルトガルの王女)も同じ病状だったらしい。

 

母も娘もストレスに弱い女性であったが、

真ん中の女性(イサベル)だけは傑物だった、というのは不思議なことだ。

 

 

4、イサベル女王の人物像

政治的、軍事的手腕は言う必要がない。

・混乱したカスティーリャ王国内を統一。

・イスラム勢力を打ち破りイベリア半島からイスラムを駆逐する。

・カスティーリャ王国とアラゴン王国を統一しスペイン王国の礎をつくる。

・山師と言われたコロンブスを支援し、莫大な利益をもたらす。

 

それでは人間としてはどういう人物だったのだろうか?

節度を守るバランス感覚を持った人物だったように感じる。

つまり政治的必要性以上にやり過ぎないということ。

そして不必要な争いを起さないよう自らは目立たないよう振舞うこと。

そういう人物像が見えてきた。

 

<根拠>

①セビリア城に歴代の王の肖像画があるがイサベルのものはない。

セビリア城はカステーリャ王国内にあり、本来の王はイサベルである。

しかし夫フェルナンドの肖像はあるが、イサベルのものはない。

番組では男尊女卑の影響だったのではないか?と解説されていた。

私には、夫フェルナンドを立てるイサベルの気遣いを感じた。

 

②アルハンブラ宮殿には後のキリスト教国の王が、自らの権力を誇示するため、

刻み込まれた紋章があるが、イサベルのものはない。

イサベルは入口にマリア像を掲げただけである。

イスラムとの戦い既に勝敗が決しており、アルハンブラ宮殿の内部は人の目に触れるところではないので、必要以上の権力誇示はしなかったのだろう。

 

③遺言状

言葉の断片にイサベルの心使いが感じられる。

娘夫妻に夫フェルナンドのことを、

「私とともに数々の戦いを経て・・・功績を残した父だ」と強調し、

「尊敬してよく言うことをきくように」と諭している。

 

④激しい異教徒弾圧

イサベルの負の断面として語られるのが、激しい異教徒弾圧である。

番組では次のようにさらっと解説されていた。

「混乱した王国をまとめるには宗教でしかない」

 

確かにそういう政治的必要性があったのかもしれない。

こういう苛酷さも異教徒憎しというより、政治的必要性によるものと思えば納得がいく。

 

 

5、イサベルの遺言状

遺言状の端々に現れる言葉の断片にイサベルの「心使い」が表れていて、興味深かった。

番組ではイサベルの遺言状を、時間をとって紹介していた。

 

■イサベルの遺言状

イサベル自筆なのかわからないが、美しい書状だと思う。

 

番組ではこう評していた。

「娘ファナへの不安に満ち満ちている」

「まるで説教のような遺言」

 

①後継者の指定

後継者の指定はどの君主も遺言するが、イサベルの遺言はそれだけではなく、

その後継者に皆が従うよう命令しているのである。

 

■ファナ女王に柩

 

次のような文言がある。

「もしファナがうまく政治を行えない場合には、

私の孫に当るファナの王子カルロスを立て、私の夫フェルナンド王がその後ろ盾となる。

皇太子夫妻はフェルナンド王に従うように。」

 

私とともに数々の戦いを経てグラナダを獲得し多くの功績を残した父です。

尊敬してよく言うことをきくように。

 

「皇太子夫妻は夫婦仲良く暮らし、国民に迷惑がかかることのないよう国を治めること。

ただ税金をとるだけの為政者になってはなりません。」

 

②説教のような遺言

番組では「説教のような遺言」だと評していたが、その通りだと思う。

ただ私はこれがイザベルの信条だったのではないかと思った。

・夫フェルナンドに対する信頼、感謝、

・為政者はこうあるべきだという信念

イサベルの人生観が表れているように思う。

 

 

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一票格差反対の団体への疑問 ニュース記事に関連したブログ

2012/03/01 11:05

 

選挙区割りの与野党協議が進まない。

こういう時期に疑問に思うことがある。

一票格差反対運動をしている団体は何をしているのだろうか?

 

私は常々、この団体の活動に疑問を感じている。

「一人一票実現国民会議」とかいう団体のことである。

 

 

(1)総論

一票格差反対運動はいいのだ。

しかしその運動が、やるべきことをせず、邪道な活動をしているのである。

一票格差を是正することが目的ではなく、不純な動機が臭ってくるのである。

 

まず国会(議員)に働きかけることをしていない。

選挙区割りの協議が進まないこの時期こそ、声をあげるべきではないだろうか。

 

本道であることをせず、邪道なことばかりしている。

一票格差を裁判所に提訴している。

最近では「違憲だ」と言わない最高裁裁判官の罷免を呼びかけている。

これが私には許せないのである。

思想調査、気に入らない人物への個人攻撃、ひいては売名行為なのである。

 

 

(2)司法に頼る愚かさ

もともと司法に訴えること自体が筋違いである。

しかもこれを推進している中心が弁護士である。

 

自分の得意な手段を使って政治的主張をするのも、

人間の習性としてわからないではない。

しかし安易である。

こういう行為は制度の趣旨を逸脱し、司法の自殺行為につながる。

 

そもそもこういうことは裁判になじまない。

裁判官は選挙で選ばれているわけではない。

選挙無効を裁判官が言えるのか?言っていいのか?

無効とされた選挙以降の法律は無効とするのか?

 

後進国で見られるように、独裁者が自分に有利になるよう選挙制度を作っているわけではない。

違憲に消極的な裁判官は、今の一票格差がいいと言っているわけではない。

司法権が介入することがどの程度であるべきか?という見解の相違に過ぎない。

 

 

(3)邪道な行為-裁判官への個人攻撃

最近では訴えることに飽き足らず、エスカレートした行為に走っている。

 

最高裁の裁判官の意見を調べて、

「一票格差は違憲」と言わない(消極的)な裁判官の名前を挙げて、

罷免の投票を呼びかける新聞一面全体の広告を出すにいたっている。

もはや純粋な動機からくる行為とはいえない

 

裁判官審査制度は純粋な司法活動について審査なのだ。

一票格差に消極的な裁判官が、それだけで裁判官として不適格なのか?

本来の職務と関係のないことでネガティブキャンペーンをして意味があるのか?

ボランティアに消極的な医者は、医者として不適格だと言っているようなものだ。

 

 

(4)なぜやるべきことをしないのか

そして何よりも不信感を抱くのは、やるべきことをやっていない、ということである。

国会、つまり政治家になぜもっと圧力をかけないのか?

今こそ、その時期である。

これが、私がこの団体に不信を抱く理由である。

 

各党は党利党略でなかなか進まない。

各党はそれなりの理由を掲げている。

各党は一票格差の解消より自党に有利な選挙制度に価値を置いているのである。

一票格差が是正されなくても自党が非難されることはないのである。

 

こういうときにこの団体が個別に調べあげて、

選挙区分けの改正に消極的な議員・政党を選び出し、

独断と偏見でもいいから公表するべきだろう。

そういうことを私は見たことがない。

 

「定員是正だけではなく、抜本的な改正をするべきだ」

などと嘯いている政党を槍玉に挙げるべきだろう。

他の問題点を指摘して、格差是正の改正を遅らせている政党が問題なのだ。

 

今何が重要な問題なのか、については議論はある。

定数削減の方が重要かもしれない。比例代表制も議論の余地があるだろう。

しかしこの団体は一票格差が何よりも重要だと考えているのだろう。

それならば何をおいてもその格差是正の圧力をかけるべきだ。

 

やり方はいろいろあるはずだ。

政党、議員の姿勢を個別に調査して、独断で評価して、

消極的な政党・議員を公表するとか。

 

詳細はわからないが、民主党自民党は定数是正だけでも先行させようとしている。

少数野党が抜本改革を主張している。

そうならばそういう格差是正先行に抵抗する政党の名前を挙げて公表するべきだ。

そこに多少の誤解があってもいいではないか。

要は格差是正の緊急性を認識させることが重要なのだ。

 

ところがどこを見てもこの「一人一票団体」が活動している形跡はない

それでいて、衆議院選挙になると裁判官審査の投票を呼びかけるのである。

裁判官の個人名を挙げて罷免を呼びかけるのである。

 

 

(5)メールで問い合わせ

私は以前にこの団体にメールで質問状を出した。

内容はここで書いた疑問を書いた。

 

その中で質問してみた。

「なぜ国会に要求しないのか?国会に要求するべきだ」

これに対する回答は次のようなものであった。

「国会には自分達でこれを解決する能力がありません」

 

能力がないことはわかっている。

必要なのは「させる」ことである。

彼らは国会に「させる」ことをしていないのである。

国会には期待できないから、というのは理由にならない。

国会に「させる」には裁判官に言わせよう言わない裁判官は共犯だと言いたげである。

 

国会が機能不全に陥っている。

ならば別の権力を使ってやらせようとする。

これって、おかしくはないだろうか?

それなら正義を実現するためなら自衛隊を使ってもいいのではないか。

(極端な話であるが)

 

 

(6)結論

こういう実態を総合的に考えると、私から言わせれば次のように定義できる。

彼らはやるべきことをやっていない。

何故やるべきことをやらないのか?

それは彼らが本当は、一票格差を是正しようと考えていないからである。

 

彼らからすれば、国会が何もしないのは好都合なのである。

その非を声高に訴え、自分達の活動が脚光を浴びる。

裁判所の違憲判決がもらえれば自分達の活動に箔がつく。

そういうことを言わない裁判官は邪魔者である。だから攻撃する。

 

私から言わせれば、こういうことを「売名行為」と言うのである。

 

 

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関連ニュース

書評-「迷走する帝国」(塩野)

2012/02/13 19:10

 

 

書評-「迷走する帝国」(「ローマ人の物語12) 塩野七生著 新潮社

  

前書き

この巻の対象は211年から284年までの73年間である。

歴史的に「三世紀の危機」と称されている。

表題も「迷走する帝国」とされ、いずれも暗いイメージである。

 

どんなに混乱していたのか?と思って読んでみたが、意外に国家としてはしっかりしていた。記述に表れない国土の荒廃があったかも知れないが、国家基盤は保たれていたという印象を受けた。

 

 

■本書の表紙

 

1、皇帝一覧

73年間で23人の皇帝が出た。

本書の中では22人とされているが、数え方による。

ここでは下記の表に従い23人とする。

 

5のマクシミヌス・トラクス以降を「軍人皇帝」と呼ばれている。

「軍人皇帝」とは何か?また「軍事政権」とは何か?

はっきりしない概念だが、軍人出身の皇帝としておく。

 

 

名前

在位

在位

直前の地位

関係

死亡原因

コメント

カラカラ

211217

6

セヴェルス帝の息子

謀殺

 

2

マクリヌス

217218

1

近衛軍団長官

謀殺

 

3

ヘラガバルス

218222

4

セヴェルス帝

の妻の孫

謀殺

非ローマ的な言動

4

アレクサンデル

222235

13

セヴェルス帝

の妻の孫

謀殺

ササン朝ペルシャ勃興

賢臣ウルピアヌスの補佐

5

マクシミヌス・

トラクス

235238

3

新兵教育責任者

謀殺

元老院が軽蔑

6

ゴルディアヌス

1

238

半月

北アフリカ属州総督

自殺

 

7

ゴルディアヌス

2

238

半月

6の息子

戦死

 

8

パピエヌス

238

3

 

謀殺

元老院が擁立

9

バルビヌス

238

3

 

謀殺

元老院が擁立

10

ゴルディアヌス3

238244

6

ゴルディアヌス1世の孫

謀殺

ティメジテウスの補佐

11

フィリップス・

アラブス

244249

5

近衛軍団長官

自殺

アラブ人

ペルシャと講和し不評

ゲルマン族南下が激化

12

デキウス

249251

2

首都長官

戦死

 

13

トレボニアヌス・ガルス

251253

2

遠モエシア属州総督

謀殺

ゴート族と講和し不評

14

エミリアヌス

253

 

遠モエシア属州総督

謀殺

 

15

ヴァレリアヌス

253260

7

ゲルマニア防壁司令官

捕虜

獄死

軍の若手を抜擢。ペルシャ軍の捕虜になる。

16

ガリエヌス

253268

15

ヴァレリアヌスの息子

謀殺

混乱、ガリア独立、パルミラ半独立

17

クラウディウス・ゴティクス

268270

2

騎兵隊長

病死

疫病

「ゴート族を制した者」という名

18

アウレリアヌス

270275

5

騎兵隊長

暗殺

ガリア、パルミラを平定

ローマを再統一

19

タキトゥス

275276

8

元老院議員

病死

年齢75

20

プロブス

276282

6

騎兵軍団

暗殺

耕地の復興をめざす

21

カルス

282283

1

近衛軍団長官

事故

落雷

ペルシャに勝利

22

ヌメリアヌス

282283

1

カルスの次男

謀殺

 

23

カリヌス

282284

2

カルスの長男

謀殺

 

 

ディオクレティアヌス

284305

 

 

 

次巻

()

「謀殺」とは政権交代の意味で殺されたと思われるもの。

「暗殺」とは政権交代の意味を持たない殺害事件。

青字は皇帝に名乗りを上げたが敗北した人。実質的には皇帝とは言えない。

 

 

2、皇帝一覧の印象

 

(1)謀殺とは

謀殺されている皇帝が多い。

それだけ争いを繰り返したのか?

皇帝は畳の上では死ねないものなのか。

 

考えてみた。

皇帝は終身である。解任・辞任・引退のルールがない

つまり統治される側に「NO」と言う仕組みがない

民心が離れているにもかかわらず解任できない状況が続く。

今の某国の政府みたいなもの?()

だから政権交代するには殺すしかない。

 

「皇帝一覧」で「謀殺」とあるのは、政権交代の意味で殺されたと思われる。

殺した方は必ずしも罰せられていない?し、またはウヤムヤ。

「クーデター」ともいえるが少し違う。

「クーデター」は政権を狙うものが組織的に起すが、ここでは殺す人物とその後政権を握る人物が違うのである。無名の兵士に殺され、その後誰を皇帝にするか決めているのである。

 

謀殺とは政権交代の一つの儀式なのだと思う。

むしろローマにとって不幸だったのは、政権交代の必要のない、

それなりに実績を上げ、これからという皇帝が、

不慮の事故で亡くなったことである。

(17ゴティクス、18アウレリアヌス、20プロブス、21カルス)

 

 

(2)皇帝在位期間が短い

皇帝一覧に載せるべきではない人もいる。

・皇帝を名乗ったが、その争いに敗れた人

・皇帝死後、その息子がしばらく皇帝だっただけの人

 

そもそも皇帝の器でなかった人物は12年である。

(私見であるが少なくとも2)

これらを除いても平均5年にもいかない。

 

これについて著者は次のように指摘している。

>統治する側と統治される側の距離が、限度を越えて短縮したことを示している。

「下克上」というべきなのかもしれない。

 

 

(3)分裂がない

不思議なのは国家として分裂がないのである。

広い領土、多民族、という観点を考えれば、地方に自立する政権が出来てもおかしくはない。

一時期、西では「ガリア帝国」が独立宣言し、東ではパルミラが半独立の動きをしていた。

しかしそれだけであり、それも十年前後で終った。

 

■当時のローマ帝国の状況(出典:本書に掲載の地図に補足)

 

中国などは百年単位で分立の時代がある。

ローマ帝国内の一体感が根強かったのだ、と改めて感じた。

危機の時代であり、迷走していたかもしれないが、

バラバラになっていたというわけではない。

 

 

3、注目した皇帝

軍人上がりだからあまり政治能力はないのでは?と思っていたが、意外にまともな人がいる。

その中で興味を引かれた皇帝を挙げてみる。

 

 

皇帝

説明

(1)

マクシミヌス・トラクス

在位235238

属州トラキアの出身のトラキア人。羊飼いの息子。

この男のとりえは並外れた体格で、セヴェルス帝に売り込み、兵士となる。

皇帝になって外敵に勝利することがすべてだと考え、戦い続けた。ゲルマニア防壁の強化にも熱心だった。

しかし粗野で教養がなく、元老院は彼を嫌悪する。

最後に元老院に足をすくわれ命を落とす。

 

いかにローマ帝国でも、品格がないと実力だけでは皇帝の地位は守れないということだ。

 

私はこの人物の心意気に感じる所があった。

彼は自分を兵士に取り立ててくれたセヴェレス帝に終生恩義を忘れず、セヴェレス帝の息子のカラカラが殺されると、さっさと故郷に帰っている。その後セヴェレス帝ゆかりのヘラガバルスが皇帝になると、また兵士に志願している。

純情で素朴な武士だったのではないかと思う。

 

(2)

ヴァレリアヌス

在位253260

 

この人は、敵の捕虜になった唯一のローマ皇帝として有名である。これがローマに与えた衝撃は大きかった。

本人も不名誉である。

 

しかし著者はこの皇帝を弁護し評価する。

この皇帝は若手の有能な兵士を思い切って抜擢する軍改革を実施した。これによって実力を発揮する機会を得た軍人がその後活躍している。

 

何人かは皇帝になっている。

息子のガリエヌスは10年以上皇帝に留まっている。

帝国を再統一したアウレリアヌスも抜擢された一人。

本人の不名誉を越えて大きな足跡を残した人物と言える。

 

(3)

アウレリアヌス

在位270275

前述のヴァレリアヌスによって抜擢された若手兵士の一人。

この人の業績は大きい。また思い切った政策を実施している。

 

著者の言葉を借りれば、

>この皇帝は)就任当初から明確な考えを持っていた。

>グランド・デザインだけでなく、優先事項を明確にした上で、時間を無駄にしなかった。

 

具体的には

・侵入を繰り返すゲルマン族を徹底的に壊滅させる。

・ローマ帝国を再統一した。

分離独立していた西のガリア帝国、東のパルミラを平定し、

・首都ローマに城壁を作った。(もはや城壁なしに安全は保てない)

・トライアヌス帝が平定したダキア属州を放棄。

ドナウ河の北に突出したダキア(ルーマニア)を維持するのは非現実的)ゴート族に譲渡して懐柔。

 

これだけのことを在任5年で実行するのは相当な人物だと思う。もっと在任すればローマ帝国はどう変わっていただろうか。

しかしペルシャ遠征の途中、秘書に暗殺される。

これは純粋な暗殺であり政変を求めての殺害ではない。

 

 

 

4、世界史としての印象

 

項目

説明

(1)

ササン朝

ペルシャ

この時期に周辺で大きな変動があった。

パルティア王国が滅亡しササン朝ペルシャが建国されたことである。226年、ローマ帝国ではアレクサンデル皇帝の時代である。

 

従来ローマ帝国にとって東の敵国はパルティアであった。

ササン朝ペルシャが違うのは古代「ペルシャ帝国」の再興を旗印にしていることであった。

「ペルシャ帝国」の領土にはローマ帝国の東半分が含まれる。

つまりローマとササン朝ペルシャは並立できない関係なのだ。

 

この意味を著者は次のように解説している。

パルティアは敵国ではあっても、扱いやすい敵であった。

>戦争を仕掛けてくるときはあっても、国内事情から来るパフォーマンスである場合が多く、本気でローマの領土を侵すことはなかった。

 

ササン朝の出現をローマ帝国のリスクの一つに挙げている。

なるほどと思った。

外交、国防とはこういうものなのだ。

こういう観点で現代のアラブの民主化、シリア情勢、を見ないといけない。アメリカイスラエルもシリアのアサド政権が崩壊することを望んでいないような気がする。

 

 

パルミラ

世界遺産パルミラである。

化石のようなこの都市が歴史の中で生き生きと登場してきた。

 

当時ローマ帝国ではゲルマン族の侵入が相次いでいた。

さらにササン朝ペルシャも侵攻して来た。

こういうとき東でローマ帝国を守ったのがパルミラのオデナトゥスという人物である。ローマは彼を正規のローマ軍司令官に任命して任せていた。

 

ところがオデナトゥスが身内に暗殺され、

妻のゼノビアが実権を握ると、半独立の動きを始めた。

限度を越えてエジプト、カッパドキアなども勢力化に置いたのである。ローマは何も出来ず、しばらく放置した。

 

しかしアウレリアヌスが皇帝に就くと、帝国の再統一に乗り出す。

やはりローマ軍は強くパルミラは陥落。

寛大な処置で撤退するがまもなく再び反乱を起す。

今度は徹底的に破壊される。

 

ただ面白いのはゼノビアの扱いである。

世界遺産パルミラを解説するとき必ず出てくる女王ゼノビアである。

ローマに連行されたが、豪華な住居を与えられ優雅に過ごした。

娘二人も元老院議員に嫁いだ。

夫のオデナトゥスに敬意を払ってのことなのだろうか、と思う。

クレオパトラも自殺しなければローマで優雅に過ごせられたのではないか。

 

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ドキュメンタリー「濱口梧陵」を見て

2011/09/16 00:34

 

 

先日(平成23年8月)BS歴史館で、

濱口梧陵(はまぐちごりょう)」を放送していた。

表題「幕末、安政地震に立ち向かった男」

 

地震・津波に襲われた紀州藩の「広村」の復興に活躍した、

「濱口梧陵(はまぐちごりょう)」の物語である。

 

濱口梧陵

 

1、概略

濱口梧陵の話は稲むらの火」という題で、教科書にも載っていたらしい。

私は子供向けの物語を読んだことがある。

しかし詳細に知るとまた違った印象を受ける。

 

 

稲むらの火」は濱口梧陵の活動の単なる一つでしかない。

また内容も少し違っている。

物語より事実の方がはるかに迫力がある

 

濱口は私財を投じて堤防を作るなど、復興に力をつくしたが、

美談として取り上げるだけでは平凡すぎるほど、現代への問いかけがある

①巨額な資金はどこにあったのか。誰が貯えたのか。

②その資金を復興に使うとなぜ即断できたのか。

 

 

 

2、安政南海地震

安政元年(1854) 安政南海地震が発生し、それによる津波が沿岸を襲った。

紀伊半島西岸にある紀州藩の広村にも津波が押し寄せた。

 

地図-1854年頃に連続して地震が発生した日本列島

この時期、1年間に多くの地震が相次いで発生した。

1854.11.4安政東海地震

1854.11.5安政南海地震

1854.11.7豊予海峡地震

1855.2.1飛騨地震

1855.10.2安政江戸地震

 

これを見ると不吉な予感がする。

東日本大震災は単独ではないのかもしれない。

 

 

3、津波からの避難

ここで濱口の注目すべき行動は次のとおり。

 

大砲のような音で直感

遠くで大砲のような音が響いたことで、津波を直感し、避難を呼びかけた。

これは濱口の博学の結果だという。

「三代実録」という歴史書に、津波の前兆が書かれてあった。

 

濱口家にある蔵書

濱口家には1万冊を越える蔵書があった。

 

②「稲むらの火」の物語との違い

既に夜になっており、どちらに避難するかわからない状況だった。

逃げ遅れている人に避難路を示すために、路にある稲わらを燃やした。

これが「稲むらの火」の物語の真相である。

 

子供向けの話では、

丘の上にある自分の屋敷にある稲むらを燃やして、村民の注意を引き付け

村民は消火の為に駆けつけ、結果的に助かった、となっている。

 

子供向けに、あるいは大衆向けに、象徴的な出来事を脚色して語ることはそれなりに意味がある。

しかし本当のことを具体的に知ることも重要であるとも感じた。

 

真相は避難道を示したのである。

東日本大震災は明るいときに起ったが、暗いときに襲われたら、

人は反対のほうへ避難していたかもしれない。

 

さらに興味深いことは、多くの若者がそれを実行したことだった

濱口が関係していた学校の若い塾生だった。

濱口は学校を設立し地域の若者を育成していた。

 

 

4、復興への活動(濱口35歳頃)

 

濱口は自費で堤防を築くことを決意。

村民を雇って堤防工事を始めた。

そして4年後に完成させた。

 

堤防図

 

そのような資金がどこにあったのか?

実は濱口家は銚子の醤油問屋であった。

(もともと銚子には紀州からの移民が多いのだそうだ)

そこで貯えていた資金を故郷広村の復興につぎ込んだのである。

 

濱口梧陵の玄孫の濱口道雄氏(ヤマサ醤油の当主)

 

強く感じたこと

①貯蓄の重要性

番組では、濱口がたまたま資産家であったとしているだけだった。

そういう資産を使うということも賞賛に値するが、

私は、資産を貯えた長年の努力も評価されなければならないと思う。

 

やはり資金はイザというときのために、貯めておかなければならない。

儲かっているからといって使ってしまっていたら何も出来ない。

ましてや借金までしていたら身動きできない。

 

②独裁の利点

濱口の一存で銚子の利益を和歌山につぎ込むことが出来たのは、

当主の独裁権があったからである。

これが合議制だったらそうはいかない。

 

出費を示すヤマサ醤油の大福帳

大福帳とは出納帳のようなものか。

こんなものがまだ残されているのだ。

 

 

5、堤防の工夫

堤防には木を植えた。

6000本の松を植えた。

ハゼの木も植えた。

 

 

堤防に植えられた松の木

次のような効果がある。

・堤防の強化になる。

・津波の引き潮のときに人が沖に流されるのを防ぐ。

・ハゼの実はローソクの原料になり、収益が得られる。

(この収益は堤防のメンテナンスの為に使うことにしていた)

 

高さは4.5m

これは昭和南海地震の津波には効果があった。

今回の東日本大震災の津波には効果がなかったかもしれない。

 

しかし私は津波には堤防しかないのではないかと思う。

もっと高い頑丈なものを作るしかない。

 

先日NHKの世界の「街歩き」でニュルンベルグを放送していた。

この街は町全体を城壁が囲んでいる。

外国ではそういう街は珍しくない。

城壁は単なる塀ではなく、それが建物であり、現在借家として使われている。

侵略者に対して人間は考えられないほど防衛策を施してきた。

日本で出来ないわけがない。

 

 

ニュルンベルグの街をとりまく城壁

 

その内部(人が住んでいる)

 

 

6、濱口のその後

紀州藩の勘定奉行に抜擢された。

そのときの働きが大久保利通の目にとまり、明治政府にはいる。

(濱口51歳頃)

 

大久保利通の手紙

「人物が良く、民生の部署に適任・・・」

人材に敏感な明治政府の姿勢がわかる。

 

「駅逓正」という役職になる。(今の郵政大臣。前島密の前の時期)

ただし短期間で辞職。

気風が合わなかったのだろうといわれる。

 

濱口梧陵

 

和歌山県議会の初代議長(濱口60歳頃)を勤める。

地方自治に力を注いだ生涯であった、といえる。

 

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書評-「チェーザレ・ボルジア」(塩野)

2011/05/15 12:50

 

書評-「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生著 新潮社

 

1、前書き

小説というより評伝である。

やはり著者塩野七生は小説家ではないと思う。

読む人を魅了するセリフもない。

主人公の行動の裏にある心理描写もあるわけではない。

 

当時のイタリアの政治世界がどういうものであったのか、

えぐりだすような時代描写の方が強烈な印象として残った

 

■「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」表紙

 

 

■地図イタリア中部(出典本書一部補足)

 

2、あらすじ

項目

内容

物語の始まり

時は1492

ローマ法王アレッサンドロ6が就任

その息子が主人公のチェーザレである。

ローマ教会に軍事力がないことを知ったチェーザレは、

枢機卿の地位を捨て俗界に移る。

イタリア中部を制圧

フランス王と結びその軍事力を中核として、

権謀術策を駆使してイタリア中部を制圧する。

民衆に信望のあるファエンツァの君主は講和した後暗殺、

味方であったウルビーノに奇襲、など。

次にボローニャフィレンツェに狙いを定める。

ローマ法王の死

そうした時(1503)父のローマ法王が病で亡くなり、

自分も病で生死をさまよう。(マラリアといわれる)

そのため法王死亡後の重要な政局を無為に過ごし、

政敵の新法王(ジュリオ2)が誕生してしまう。

壮絶な死

病を克服した後、チェーザレは新法王と取引するが、

新法王の方が一枚上手で、結局拘束されスペインへ送られる。

スペインで脱獄し義兄のナヴァーラ公国に逃れる。

ナヴァーラ公国の戦いに参加し、そこで戦死する。

 

 

3.読後雑感

時代背景というか当時の社会常識(行動規範)に違和感があり、

登場人物の行動をなかなか理解できなかった。

 

項目

内容

ローマ法王

社会的地位

漠然とわかっていたつもりであったが、

実際に描かれたものを読むと、改めてその微妙さがわかる。

 

地図の上ではイタリア中部に「ローマ法王領」が存在する。

しかし各地の領主が実質独立して勝手に支配している。

だからそれらの領主は「僭主」と呼ばれる。

ローマ法王は軍事的・経済的にはローマの一領主に過ぎない。

 

しかし侮りがたい権威を持つ。

仏のシャルル8がローマに進軍したにもかかわらず、

法王にまるめこまれて手を出せず、形勢悪化して逃げ帰る。

 

権威を背景に君臨する姿は、日本の皇室に似ており

権謀術策で勝負する姿は、後白河法皇を彷彿とさせる。

 

教職者の実像

教職者の実態(腐敗ぶり?)が面白い。

教職者は結婚できないが、実際は結婚して子供もある。

ただしその子供は正式な子ではなく、庶子となる。

チェーザレもその一人である。

 

カトリックでは離婚は認められない。

しかし結婚が無効であれば離婚は可能である。

(結婚が無効だから離婚とは言わないが)

仏のルイ12はその理由で法王に認めさせた。

無論、大きな政治的土産を送っての話である。

 

 この物語の話ではないが、こういう実態があるのなら、

英のヘンリー8などは離婚を認められなかったため、

ローマ教会と絶縁してイギリス国教会を作ったが、

土産を送らなかったから認められなかったのではないか。

 

教職者を

軽蔑する風潮

 

不思議に思ったのは、教職者への社会の評価である。

当時の民衆には教職者を軽蔑する風潮があったらしい。

何となくわかるが、ここまで露骨に書かれているのは意外だった。

 

著者は言う。

>イタリアの歴史の上で、聖職者・・・に対する反感が、

>その国民感情を根強く支配してきた例を見出すのは

>むずかしいことではない。

>中世以降、教会政治に対する嫌悪、聖職者に対する嘲笑は、

>普通の人のもつ感情であり、・・・

イタリア人の精神の大きな要素を占めてきた。

 

傭兵制度

どうしてもわからないのが「傭兵制度」である。

今で言う「軍事会社社員」「ガードマン」であろうが、ピンとこない。

日本は米軍を傭兵として雇っていると考えればいいのかもしれない。

 

傭兵だからと言ってモラルが低いとは限らない。

最近、日経新聞に歴史の一片が紹介されていた。

 

傭兵の歴史は悲しい。

フランス革命で、ルイ16を最後まで守ったのは当時は貧しい国だったスイスの部隊だった。・・・民衆への攻撃命令が出なかったため、大部分が無抵抗のまま死んでいった。

(日経新聞「春秋」H23.2.26)

 

戦いの

様相・結果

傭兵制度の結果かもしれないが、意外に死者は少ないらしい?

戦争のプロ同士が行うので、一定のしきたりに基づいて行われ、

勝敗を決定する目安が決まっていたのだろう。

 

離合集散を繰り返し、突出した勢力なるとたたかれる。

昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、である。

 

攻められて勝てない君主はさっさと逃亡する。

しかし、ほどなく状況が好転すると返り咲く。

戦争とはゲームなのか?と思うほど、悲壮感はない。

 

仏のシャルル8ナポリ王国を征服したときも、

ナポリ王イスキア島へ逃亡する。

シャルル8が駐留軍を残して帰国した後、

仏駐留軍はナポリ王国軍の攻撃で全滅し王国は復活する。

 

 

 

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(フランチェスカ筆)

出典ウィキペディアWikipedia

 

4、物語の脇役

この物語で、イメージと違った大物の脇役が登場する。

イメージが歴史の流れに結び付けられたというべきか?

 

人物・国

内容

フェデリーコ・ダ・

モンテフェルトロ

上記の肖像はウフィッツィ美術館にある肖像画である。

歴史の本にもよく出ている。

 

そのいかつい恐ろしい横顔、

傭兵隊長として勇名をはせたと解説される。

どんなに残酷な人物だったのだろうかと、以前は思った。

 

しかしこの人物はウルビーノの君主として、

他国の傭兵隊長を生業(なりわい)としながら、

母国では芸術・文化を花開かせ善政を行った、という。

 

当初はこの横顔の人物と名君たる人物が結びつかなかった。

この肖像画はフランチェスカ筆といわれるが、

もう少し画家として配慮できなかったものかと思うほどである。

温和な穏やかな表情を入れれば、少しは印象が違ってくるのに…。

 

本物語はその死後20年の時代である。

その息子グイドバルドは才能を受け継ぐことが出来ず、

チェーザレの裏切りにも似た奇襲で領国を失う。

しかし父の遺徳は大きく、政局の流れの度に君主に返り咲く。

 

マキアヴェッリ

この物語では落ち目のフィレンツェからの大使として登場する。

いずれはフィレンツェを征服するつもりのチェーザレと、

その脅威をそらせようとするマキアヴェッリの会話が印象的だ。

 

マキアヴェッリの「君主論」はこの時代を知らないと、

本当に理解できないかもしれない。

浅学の私は、なぜ「君主論」が書かれたかということだけ理解できた。

 

ヴェネツィア

ヴェネツィアは別の著書「海の都の物語」で取り上げている。

そこでのイメージは、かたくなに共和制を守り、正道を歩み続け、領土拡張に野心を持たず、協調主義、というものであった。

 

しかしこの物語でのヴェネツィアは違っていた。

北方に君臨する恐ろしい強大な国、

高度な外交能力を持つ国(つまり権謀術策に長けた)

即ち油断の出来ない国、というわけである。

 

間違いではないのだろう。

他国から見るとこんなに違った印象になるのだ。

案外、後者が真実なのかもしれない、と思う。

 

 

 

5、思い出の地

数年前に娘の結婚式のためにイタリアへ行った。

このとき訪れた地の名前が、ほんの少しこの物語に出ていた。

 

(1)オルヴィエート

オルヴィエートはローマとフィレンツェの中間にある町である。

山の上が城郭都市になっており、駅からケーブルカー?で上る。

 

法王庁領土でチェーザレが総督になっていた。

仏王シャルル8イタリアに侵攻してきたとき、

法王は初めはやむなく歓迎したが、状況が有利になると、

シャルルと会うのを避けた。つまり逃げたのである。

そのときに避難場所になったのが、オルヴィエートである。

 

それだけのことだが避難場所としては、

これ以上のものはないと感じるほど、守るに堅固な城であった。

 

■オルヴィエート城壁から駅方面を望む(H149)

 

 

■駅からオルヴィエート城壁を望む(H149)

 

(2)ヌオーヴォ城(ナポリ)

ナポリにある、海に面した城である。

遠くにヴェスビオ山を望む。

最上部から周りを見ると眺めが良いが、怖い。

 

拘束されたチェーザレは、一旦自由を取り戻しナポリに来たが、

ヴェネツイアの策謀で心変わりした法王はスペイン王と結び、

スペイン王の命によって拘束され、この城に軟禁される。

 

ヌオーヴォ城を居城としていたスペインの総督コルドーバとの、

ヌオーヴォ城内での友情に満ちた会話が印象的である。

 

 

■ヌオーヴォ城の正門(H149)

 

 

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書評-「終わりの始まり」(塩野) コモドゥス以降

2011/03/26 09:58

 

 

書評-「終わりの始まり」(「ローマ人の物語11) 塩野七生著 新潮社

その2・・・コモドゥス帝以降

 

■表紙(上がマルクス帝、下がセヴェルス帝)

 

1、前書き

 

「その1」でテーマをあげたが、本稿では④⑤⑥を取り上げる。

 

分類

テーマ内容

主要なテーマ

・先代アントニヌス帝批判

それ他のテーマ

・マルクス帝は問題の根を理解していたか?

・マルクス帝の問題対処は的確であったのか?

・コモドゥス帝のボヘミア属州化の放棄は正しいか?

・そもそも軍事政権、軍人皇帝とはどういうものか?

(セヴェルス帝が軍事政権化への舵を切ったとされるが)

・仮想敵国パルティアの位置づけ

 

 

2、コモドゥスの政策変更

 

(1)ゲルマンとの講和

マルクス帝の死後、コモドゥスが後を継いだ。

評判の悪い皇帝である。

 

>マルクス帝が全力をつくして難問に対処したにもかかわらず

>彼の死を境にローマ帝国が衰亡の坂を下り始めるのは、

>無能で無責任な息子コモドゥスが帝位に就いたからである、

とされる。(歴史家の評)

 

そのコモドゥス帝が最初に実施したのがゲルマン族との講和である。

これがまた評判が悪い。

(それに対して著者塩野七生はいつもの調子で弁護している)

 

不評の理由を、順を追ってまとめてみると次のようになる。

項目

内容

補足

ボヘミア属州化

構想

マルクス帝は、度重なるゲルマン族の侵入に対し、ドナウ河中北岸のボヘミア地方を属州化しようとした。

トライアヌス帝のダキア属州化に倣ったもの。

第二次

ゲルマニア戦役

ローマ軍は勝利を重ね、ボヘミア地方の制圧に成功していた。

そのときマルクス帝が死亡。

 

講和

コモドゥス帝は戦争終結を言い始め、ゲルマン族はそれに応じ、講和。

これによりボヘミア属州化は事実上放棄された。

コモドゥスは早くローマに帰りたかっただけという噂もある。

講和への不評

不評の理由

・あと一歩で、という時期に講和。

・講和条件が勝者の内容ではない。

ボヘミア属州化が実現不可となった。

 

「現代でも、手をつけようものなら支持率低下は必至、という政策はある」と皮肉っている。

 

 

(2)ボヘミア属州化構想への批判(講和の擁護)

 

ボヘミアとはドナウ河中北岸の地方(チェコ西部)の歴史的地名である。

西洋史にはたびたび出てくる名前であるが、

どこにあるのか、どういう歴史だったのかはあまりなじみがない。

 

古代ローマ時代にこういう形でクローズアップされたわけである。

中国の魏の歴史書に日本のことが書かれているのと似ている。

 

 

■ライン・ドナウ河防衛線とボヘミア(本書から、一部補足)

 

著者はこのボヘミア属州化構想を批判し、

次のようにコモドゥスの講和を擁護している。

 

項目

説明

①防衛費の

節約にならない

ボヘミアを属州にしても、ドナウ河防衛の軍は減らすことが出来ないこと。

 

②ローマ帝国の

強大化につながらない

ローマ帝国は属州を同化して、強大化してきた。

しかしすべての属州がそうであったわけではない。

 

属州化してもすぐに同化して帝国に人材を輩出できるわけではない。それなりの基盤が必要なのだ。

ボヘミアを属州化しても単に国防上に利用するだけのことであり、ローマ帝国の体力増強につながるわけではない。

 

 

ここから著者の侮蔑的発言が始まる。

ブリタニアは単に、ガリアの不満分子が逃げ込んで、

そのゲリラ基地になることを防ぐためにあるだけなのだとし、

当時のブリタニアは、所詮その程度だと切り捨てている。

 

これをチャーチルが聞いたらどう言うだろうかと笑ってしまった。

ただし著者は弁解もしている。

>「大英帝国はカエサルがドーバー海峡を渡った時にはじまる、

>と言ったチャーチルにも、ローマ史の研究では世界最高の実績を誇る

>イギリスの学者にも気の毒だが」

 

 

3、軍事政権とは

セヴェルス帝軍事政権化への舵を切ったとされる。

ここでふと私は「軍事政権」「軍人皇帝」とは何かという疑問がわいた。

 

トライアヌス帝ヴェスパシアヌス帝も軍人ではないか。

それならローマ帝国には既に軍人皇帝が出ていたことになる。

アイゼンハワードゴールも軍人だったが、軍人大統領とは言わない。

 

そもそも軍事政権とは何なのか?

その後の政策を言うのか、社会構造を言うのか?

 

これについて著者塩野七生は一つのヒントを語っていた。

それをまとめると次のようになる。

 

項目

説明

セヴェルス帝の

防衛力強化策

セヴェルス帝は防衛力強化のため、軍団兵の待遇を引き上げた。(年給アップ、正式結婚認可、能力主義の制度化など)

 

軍団の

一般社会からの隔離

軍団生活が居心地良くなりすぎてしまい、

一般社会に復帰し第二の人生を切り開く意欲が減退した。

それがローマ社会での軍事関係者の隔離になり、ローマ帝国の軍事政権化の始まりになる。

 

従来の

軍団兵の人生

兵役期間を満了すると退職金をもらいそれをもとに第二の人生を切り開く。兵役期間が延長されると反乱まで起きた。

 

軍団の暴走

 

軍事関係者の一般社会からの孤立ぐらい社会全体までゆがめてしまうこともない。その行き着く先は、他とのバランスを忘れた暴走以外にはないからである。

 

著者はカエサルの言葉を引用して解説する。

セヴェルス帝が軍事政権化への舵を切った」とされるのは、

結果は悪かったとしても、当初の意図ならば立派で、善意に満ちたものであった」のだと。

 

 

4、パルティア王国の存在

 

セヴェルス帝はライバルのシリア総督ニゲルと戦い勝利した。

その後ニゲルを援助したパルティア王国を攻撃した。

そして新たにメソポタミアを属州化した。

 

パルティア王国はローマにとって長年の仮想敵国であり、

パルティアの弱体化はローマにとって歓迎すべきことであった。

 

しかしここで著者は別の問題点を指摘する。

パルティア王国の存在の「意味(役割)」である。

蛮族の侵入をパルティアが防いでいたという役割である。

 

パルティア王国がなくなれば、ローマが直接その脅威を受ける。

パルティア王国は、ローマの国防に一定の役割を果たしていた

 

それはやがて現実化する。

セヴェルス帝の死後パルティア王国は滅亡し、

ササン朝ペルシャが出現する。

パルティアは仮想敵国であったが、

>ササン朝ペルシャは敵国になってしまうのである。

 

これは安全保障上の高度な外交問題である。

北の某国の無軌道ぶりにはうんざりさせられるが、

米国と中国の対立の緩衝材になっているのかもしれない。

日本にとっても国防問題の重要性を認識させる薬かもしれない。

 

 

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書評-「終わりの始まり」(塩野)マルクス帝

2011/03/26 09:40

 

 

書評-「終わりの始まり」(「ローマ人の物語11) 塩野七生著 新潮社

その1・・・マルクス・アウレリウス帝

 

 

■表紙(上がマルクス帝、下がセヴェルス帝)

 

1、前書き

五賢帝の中の最後の皇帝マルクス・アウレリウス帝が主題。

そして評判の悪いコモドゥス帝、内乱を経てセヴェルス帝までを、

駆け足で紹介している。

 

この巻にはいろいろなテーマが散りばめられている。

それにもかかわらず、結論がいまひとつ判然としない。

著者塩野七生はストレートに書くようで書かない。

 

テーマとその結論を私なりにまとめてみた。

少し乱暴で、表面的な受け止め方になるかもしれないが。

本稿では①②③を述べる。

④⑤⑥は別稿とする。

 

 

分類

テーマ内容

主要なテーマ

・先代アントニヌス帝批判

それ他のテーマ

・マルクス帝は問題の根を認識していたか?

・マルクス帝の問題対処は的確であったのか?

・コモドゥス帝のボヘミア属州化政策の放棄は正しいか?

・そもそも軍事政権、軍人皇帝とはどういうものか?

(セヴェルス帝が軍事政権化への舵を切ったとされるが)

・仮想敵国パルティアの位置づけ

 

 

2、皇帝一覧(黄色部分が本巻の対象)

 

皇帝名

在位

コメント

12

ネルヴァ

8

9698

ショートリリーフ。五賢帝の最初。

13

トライアヌス

9

98

117

属州出身の初の皇帝。

ダキアを平定。最大の領土。

14

ハドリアヌス

9

117138

全土を巡行し帝国の基盤を強化。

15

アントニヌス・

ピウス

9

138

161

温厚な人柄で統治。

平和な時代。

16

マルクス・

アウレリウス

11

161

180

哲学者

蛮族との戦争に明け暮れる。

17

コモドゥス

11

180192

評判の悪い皇帝

(18)

ペルティナクス

11

193

短命

(19)

ユリアヌス

11

193

短命

(20)

セプティミウス・

セヴェルス

11

193

211

軍人政権化への舵を切った。

(21)

カラカラ

11

 

(さわりの部分)

 

 

3、アントニヌス帝批判 (テーマ①)

 

(1)長い序論

賢帝の中の賢帝、マルクス・アウレリウス帝が始まる。

塩野七生がどう描き、どのように評価するか?

と思って読み始めた。

 

しかし書かれているのは先代アントニヌス帝や先々代ハドリアヌス帝

あげくにティベリウス帝以来のローマ防衛史まで出てくる。

読む巻を間違えたかと思ったが、64ページ目でなぜかわかった。

 

マルクス帝と先代・先々代の皇帝は次のとおり。

時代(皇帝)

在位

概況

ハドリアヌス帝

21

それなりに平和で安定していたにもかかわらず、

帝国の全体を歩き、せっせと強化策を進めた。

アントニヌス帝

23

皇帝はイタリア本国から一歩も出ず。

しかし全くの平和。何の問題も起こらなかった。

マルクス・アウレリウス帝

19

一転して災害、蛮族侵入に見舞われる。

戦争に明け暮れる治世となり、陣中で死亡。

 

荒っぽく言うと

ハドリアヌス帝が将来を見据えた政策のおかげで、

アントニヌス帝は平和をおう歌できたが、

アントニヌス帝はそれに安住するだけで、つまり無策によって、

マルクス帝のときに一気に問題が噴出した。

ということなのである。

 

それを言うために延々と昔の歴史を述べてきたのである。

著者塩野七生いわく。

>「賢帝の世紀」に続くこの巻は、

>哲人皇帝マルクス・アウレリウスの統治で始まると思っていた読者は、

>その助走期でもあるここまでの長い叙述は、予想していなかったに違いない。

 

つまり言わんとするのは、ハドリアヌス帝への賛美である。

>ハドリアヌスが偉大であったのは、

帝国の再構築が不可欠とは誰も考えなかった時期に、

それを決行したことであった。

 

そして裏返せば、本当に言いたいのはアントニヌス帝批判である。

著者はやんわりと言っている。

>アントニヌス・ピウスという皇帝は、

>晴天の日に、翌日に降るかもしれない雨の準備をするという、

>政治家ではなかった

 

 

4、マルクス帝の認識 (テーマ②)

 

マルクス帝は上記、問題の「根」を認識していたのか?

著者の結論は「わかっていなかった」というものである。

私は著者が挙げた次の事実でそれを強く感じた。

 

皇帝になる前

の行動

マルクスは40歳で皇帝になったが、

それまで一歩も本国イタリアから出ていない。

著書「自省録」

の内容

アントニヌス帝に対しては想い出を暖かく長く語っているが、ハドリアヌス帝に対しては一言もふれていない。

 

つまりマルクス帝は、

ハドリアヌス帝が持っていた問題意識を共有していなかったこと、

ハドリアヌス帝に対して、ある種の煙たさを持っていたこと、

がわかる。

 

 

5、マルクス帝の対処策の的確性 (テーマ③)

 

(1)一般的評価

マルクス帝は当時の代表的な哲学者である。

人間的にも、律儀で温和でおよそ戦争には向いていない。

にもかかわらず、自ら前線に出向いて戦った。

ローマは有能でモラル高い武将に不足していなかった

マルクス帝はそれらを有効に活用し、個々の戦いには勝った。

 

(2)辛らつな疑問

しかし著者塩野七生は辛らつな疑問を掲げる。

マルクス帝が軍団経験があったなら、また以前から問題意識を持っていたなら、対処策が違っていたのではないか?という疑問である。

 

著者塩野七生はいつもそうなのだが、

疑問は明快であるが、結論はいまひとつ抽象的である。

>真の要因はマルクスという人の、戦争というものがわかっていなかったこと、

>にあったのではないかと思えてならない。

 

その根拠はゲルマニア戦役が10年しても決着がつかなかったこと

つまり戦争を終らせる政治能力に欠けていたということだろう。

 

それではどうすれば戦争を終らせることができたのか、

それについては、はっきりと述べられていない。

 

(3)これでよかったのでは

私は以下のように思う。

マルクス帝はこれでよかったのではないか。

著者塩野七生は、10年も戦争を長引かせたことを強調して、

戦略のなさ、政治力のなさを指摘しているが、

不手際であっても、以後の平和を考えれば目的は達したのである。

 

次のコモドゥス帝がゲルマン族と講和を結び、

以後60年の平和が実現している。

(180年から240年まで、ドナウ河で戦争はない)

 

 

6、マルクス・アウレリウス帝の人柄

 

(1)律儀さ

律儀さがいたるところに表れている。

特に義弟のルキウスを共同皇帝にした事実でそれを感じた。

 

先々代のハドリアヌス帝アントニヌスを後継者に選ぶとき、

その次の後継者としてマルクスルキウスの二人を指名した。

ただしアントニヌス帝は事実上マルクスを後継者として扱った。

 

アントニヌス帝の死後、誰もがマルクスが単独で皇帝になると考えた。

しかしマルクスはルキウスと共同皇帝になることを選んだ。

20年前のハドリアヌス帝の意向を、律儀に尊重したわけである。

 

 

(2)反乱事件の首謀者の言葉

1754シリア属州総督のアヴィディウス・カシウスが反乱を起した。

マルクス帝死亡という誤報を受けて、皇帝に名乗りを上げた。

結局、誤報とわかり鎮圧された。

 

そのカシウスがマルクス帝を批判している手紙が紹介されていた。

>「寛容な指導者であるが、貪欲な者どもが闊歩するのを許している」

という内容である。()

逆にそれがマルクス帝の人柄を言い表しているのが面白い。

 

 ()カシウスがマルクス帝を批判した手紙

>偉大なる徳の持ち主ではあるが、

>寛容な指導者という評判を欲するあまりに、

>貪欲な者どもが闊歩するのを許している

 

>「人間の良き原理を、正直さを、公正さを探求するのには熱心だが、

>国家とは何であり、どうやればそれをよく機能させられるか、

>という問題には熱心でない」

 

何やら「友愛」とか「弱者救済」とかの政治の風潮を批判する、

保守主義の論者の批判のような気がする。

 

著者塩野七生はこのカシウスを

「ブリリアントなタイプの武将であった」と評している。

 

 

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書評-「すべての道は」(塩野)インフラ

2011/02/13 00:29

 

書評-「すべての道はローマに通ず」(「ローマ人の物語Ⅹ」) 塩野七生著 新潮社

H23.2.14改定)

 

1、前書き

五賢帝の時代が終り、その後のローマ帝国の推移を予想して読み始めたが、

この巻はそうではなかった。

ローマ帝国のインフラ造りに焦点をあてた「別冊」であった。

 

この巻は著者のこだわりであったようだ。

著者塩野七生は言う。

>当初から私の頭の中にあった。

>ローマ人の築き上げたインフラだけの巻を書くこと。

>その巻のタイトルは『すべての道はローマに通ず』とすること。

 

さらに著者は言う。

>「一気に読了するとか手に汗にぎる類の快感は、今回は期待しないでほしい」

 

私は笑ってしまった。

心配しないでほしい。もともとそういうことは期待していない。

これまでだって読むのに忍耐が必要だった。

「一気に読了する」ことなどなかった。

 

 

■「ローマ人の物語」Ⅹ「すべての道はローマに通ず」表紙

 

2、ローマ街道

(1)概説

ローマ帝国が街道を張りめぐらしていたことは、漠然と知っていた。

認識を新たにしたのは下記の点である。

 

①造った時期

着工したのはまだ大帝国になる前の勃興期であること。

主要な街道はローマがまだ都市国家程度の頃に造っている。

ローマ街道の基本となるアッピア街道は紀元前312年に着工している。

 

②本国だけでなく属州にも街道を造ってこと、

しかも新たに領土となるとすぐに街道を造っていること。

 

こういう事実を目の前にすると著者の言葉がよく理解できる。

>「インフラとは、経済力があるからやるのではなく、

インフラを重要と考えるからやるのである

 

お金も暇もないから本を読むことが出来ない、などというのは、

言い訳にもならないと指摘されているように感じた。

 

 

(2)主要な街道

 

■ローマ帝国主要街道地図(本書から一部補足)

 

イタリア国内の主要な街道は下記のとおり。

この中で最も有名なのが⑦アッピア街道であり、後のローマ街道の基本となった。

これを立案・推進したのがアッピウス・クラウディウスである。

この人物については後に述べる。

 

NO

街道

国道

着工

起点

終点

補足

アウレリア

1

241

ローマ

ジェノヴァ

北への重要街道

カッシア

2

154

ローマ

フィレンツェ

 

フラミニア

3

220

ローマ

リミニ

半島を横断。東側への重要街道。

サラーリア

4

312年以前

ローマ

ポルトピチェーノ

 

ティブルティーナ

5

312年以前

ローマ

ティヴォリ

 

⑩につながる

ティー

6

312年以前

ローマ

カプア

アッピアの複線化

アッピア

7

312

ローマ

プリンディシ

ローマ街道の基本

オスティエンセ

8

312年以前

ローマ

オスティア

 

エミーリア

9

187

リミニ

ピアチェンツァ

 

ヴァレーリア

 

307

ティヴォリ

ペスカラ

⑤の延長線

 

ヴァレーリア

 

第一次ポエニ戦役後

メッシーナ

パレルモ

 

シチリア領有と同時に

ミヌーチア

「アッピア・トライアーナ街道」

 

225

ベネヴェント

プリンディシ

アッピアの複線化

ポストゥミア

 

148

ピアチェンツァ

アクィレイア

北部

アンニア

 

131

カプア

レッジョ・

カラーブリア

半島南つま先まで

 

<補足>

①アウレリア街道

コーサまでは旧アウレリア街道、ピサまでは新アウレリア街道、

ジェノヴァまではエミーリア・スカウリ街道と順次延長された。

 

⑤ティブルティーナ街道ヴァレーリア街道

⑤はティヴォリまで、以後ペスカラまでは⑩である、と本書には書いてあるが、

全体を「ティブルティーナ街道」と称しているものもある。(ウィキペディアWikipedia

 

⑩⑪ヴァレーリア街道

⑩は⑤の延長の街道、⑪はシチリア島に敷かれた街道、

このように同じ名前が他にもあるが、そのあたりの事情はわからない。

 

 

(3)街道の利用

今の言葉で言えば「アプリケーション」ということであろう。

本書は二つの事柄を挙げている。

一つは「国営郵便システム」であり、もう一つは地図である。

 

国営郵便システム

カエサルが考案しアウグストゥスが制度として確立した。

本来は軍事用であるが、市民も利用した。

 

地図(銀コップ)

携帯用に作られたと思われるコップ。

ローマからカディス(スペイン)までの都市名と距離が、コップの周囲に書かれている。その都市は旅のサービス(宿泊・馬の交換・食事など)を提供できる都市を示している。

旅人はこれを重宝していたのだろう。

 

地図(羊皮紙)

ウィーン

国立図書館蔵

当時の世界地図。「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」と呼ばれる。

4世紀に製図されたものを11世紀に模写されたもの。

地域・都市ごとに旅に有用な情報が書かれている。

宿泊施設(その等級まで)・食事・温泉など、多くは記号化されている。

「モーゼが十戒を与えられた場所」というユーモラスな情報もある。

 

 

(4)地図論議

ここで著者は地図論議を展開している。

論じていることは、いちいちもっともなことである。

 

>「タブーラ」式地図は現代の地図とは違う。

>「タブーラ」式地図の目的は、地勢の正確さを期すことよりも、

旅行者に必要な情報をわかりやすく表現することにある。

(どこからどこまでは何の街道が通っていて、その間の距離は何マイルかなど)

>主要目的以外は簡略化することも、地図製作者が心していなければならない知恵なのである。

 

私はここで「鳥瞰図」なるものを思い浮かべた。

昔は、何か子供っぽい絵としか思わなかったが、

今では全体を俯瞰できるいい地図形式だと感じるようになった。

 

 

3、水道

 

(1)概略

ローマ帝国のインフラとして、水道も有名である。

ローマ市内に引かれた水道は11本。

その最初にして、その後の水道の基本となったのが、アッピア水道

それを立案し推進したのは財務官アッピウス・クラウディウス

アッピア街道を造った同じ人物である。

 

その後のローマに絶大な影響を与えたアッピウスという人物は、

どういう考え方をしていたのだろうかと思う。

遠い将来を見据えて必要な基盤を造っていく。

そんな人間がいるのだろうか?

 

著者は同じことを述べていた。

 

>私は時に、この男の頭の中はどうなっていたのだろう、と思ってしまうことがあるが、

>このような想いにさせる人物は、一千二百年のローマ史でも二人しかいない。

カエサルと、このアッピウス・クラウディウスである。

 

(さらにこう述べている)

アッピウスがこのような大事業の推進者になれたのも、

>彼が財務官の地位に就いていたからであり、

>そしてその地位が、市民集会での選挙による選任官職であったことを忘れてはならない。

 

先月NHK BSハイビジョンでスペインの世界遺産の旅を放映していた。

その中で、セゴビアの水道橋を写していたが、その威容に改めて驚いた。

月並みな言葉であるが「圧倒的な存在感」である。

 

■セゴビアの水道橋(本書の写真から)

 

解説者の逢坂剛 (作家)が、

(水道橋の)質感がテレビでわかりますかネ。言葉を失いますネ」

と言っていたが、テレビでもその質感はよくわかった。

 

著者は

>「水の安定供給のためだけにこれほどの大工事をしたのかと感嘆させられる

と言い、さらに

>「感心するより呆れてしまった」とも言っている。

「呆れてしまった」にも同感である。

 

(2)効果

著者は衛生上の効果を挙げている。

>「ローマ史上の悪疫流行の事実は、

>帝国が統治した地域の広さ、統治した歳月の長さを思えば、

>驚くほど少ないのである」

統計上の裏付けがあるのか?と思うが、納得できる結論である。

 

 

4、その他

ハードなインフラとして、「橋」

ソフトなインフラとして、「教育」「医療」を論じている。

 

振り返ればこの「ローマ人の物語」の全編を通じる主要テーマは、

「ソフトなインフラ」(中心は政治制度)であると思う。

故に「教育」「医療」は特にこの巻で取り上げる必要はなかったように思えた。

 

 

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書評-「賢帝の世紀」(塩野) ハドリアヌス

2011/01/31 16:27

 

 

書評-賢帝の世紀(「ローマ人の物語Ⅸ」) 塩野七生著 新潮社

(その2・・・ハドリアヌス)

 

ハドリアヌスについて

1、人間模様

生い立ちが面白い

実父が死ぬ直前に、友人二人をハドリアヌスの後見人に指名した。

その二人がトライアヌスアティアヌスである。

後にトライアヌスは皇帝になり、アティアヌスは近衛軍団長官となった。

 

後見人の二人はハドリアヌスをローマで教育することに決める。

その後軍団勤務、行政官を経験させる。

著者はここでローマの社会人教育を論じている。

 

トライアヌスは明確に後継者に指名したわけでなかったが、

ハドリアヌスはトライアヌスの死後に皇帝になった。

皇帝になったハドリアヌスを影で支えたのが、もう一人の後見人のアティアヌスである。

 

不穏な動きのあった元老院議員4人を近衛軍団を使っていち早く抹殺した。

そして責任を一身に負って辞職した。

ハドリアヌスはよい後見者に恵まれたものだ。

 

2、業績

私はバランス感覚を強く感じた。

先帝トライアヌスがパルティアに遠征し首都まで陥落させたのに、

ハドリアヌスは事実上撤退させた。

数年後東方へ巡行したとき周辺の王候を招き祝宴を行った。

パルティア王も喜んで参加し東方は緊張緩和した。

 

ハドリアヌスは帝国の各地を巡行したことで知られる。

こまめに防衛線を補修したというべきか。

属州民が代表をローマに送って自分たちの要望を訴えたのではなく、

皇帝のほうが属州をまわって属州民の声に耳を傾けた

(ある研究者の評)

 

本書はその巡行の様子が細かく書かれている。

面白くもないが、おかげで帝国の当時の状況がわかる。

こういう地味であるが為政者として必要なことをやった人が評価されるのは健全なことだ。

 

3、人柄

業績から見ると実直なタイプを連想するが、性格は複雑だったようだ。

若い頃ギリシャ文明に心酔し、芸術家肌であった。

私はパンテオン建設にそれが表れているように思う。

あの建物が「球形」であるとは知らなかった。

 

パンテオン(ウィキペディアWikipedia)

 

4、ユダヤの反乱

前巻(Ⅷ巻)で触れたがユダヤ問題がある。

とにかくパレティナに住むユダヤ人はまわりと折り合いが悪かった。

 

反乱の経緯

 

66

ネロの死後の混乱期に反乱

混乱期を収めたヴェスパシアヌス(息子のティトゥス)によって鎮圧された。そのときマサダの要塞が最後の砦となった。

 

115

ローマのパルティア遠征中に反乱。

ここでハドリアヌスは根本的解決を考えたとされる。

その後ハドリアヌスは挑発的と思われる政策をとる。

 

131

131年に勃発。

134年エルサレム陥落。

1369月最後の砦ベティル(イェルサレム南西)が陥落。

この後ユダヤ教徒はパレスティナから追放され、

いわゆる「離散 (ディアスポラ)」が始まったとされる。

 

 

「離散」はユダヤ人自身の排他主義にあると、著者は分析している。

確かに反乱がローマの裏をかくような時期に起している。

ハドリアヌスは武力で解決するタイプではなかったが、

そうせざるをえなくなった、というべきだろう。

 

 

5、あとがき

ローマ皇帝の働きぶりには感心する。

 

ただし何事も「時機」というものがある。

国の隆盛期であったという幸運もあるだろう。

今の日本のように、国の援助ばかり要求する風潮では、

誰が為政者になっても何も出来ないだろう。

 

そういうことを考慮しても、ローマ皇帝の働きぶりは、

為政者は何をするべきか、

政治はどうあるべきかを教えてくれる。

 

 

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書評-「賢帝の世紀」(塩野)トライアヌス

2011/01/31 16:17

 

 

書評-賢帝の世紀(「ローマ人の物語Ⅸ」) 塩野七生著 新潮社

(その1・・・トライアヌス)

 

1、前書き

ローマ帝国の絶頂期の物語である。

賢帝と評された5人の皇帝の中の3名の皇帝を取り上げている。

 

賢帝の世紀(「ローマ人の物語Ⅸ」)の表紙

 

(1)五賢帝

五賢帝とは下記のとおり。(本巻は131415代を対象)

 

 

 

在位

 

12

ネルヴァ

96年~98

前巻(Ⅷ巻)の対象

ショートリリーフ

13

トライアヌス

98年~117

属州出身の初の皇帝。

ダキア(ルーマニア)を平定。最大の領土。

とにかく勤勉であった。

14

ハドリアヌス

117年~138

全土を巡行し帝国の基盤を強化。

「属州民の要望を皇帝の方から聞きに行った」

少しクセがある人格。

15

アントニヌス・

ピウス

138年~161

温厚な人柄で統治。

暫定政権であることを自覚していた。

ただし20年以上統治する。

16

マルクス・

アウレリウス

 

次巻(Ⅹ巻)の対象

哲学者

 

(2) クールな表現

著者塩野七生の賛美の言葉が散りばめられているのかと思った。

しかし著者の書きぶりは、いたってクールである。

つまり絶賛しているわけではないのである。

評判の高いことを前提にして、それを容認しているというニュアンスであった。

 

 

(3)私見

あまり賢帝と呼ぶほど際立ったものは感じなかった。

それまでの皇帝も、優れた統治だったから、

 (初代アウグストゥスしかり、2ティベリウスしかり)

相対的に見ると、賢帝としての偉大さが際立つほどではないのである。

 

 

2、トライアヌスの業績

不穏な動きのあったダキア(ルーマニア)を平定し、

長年の仮想敵国パルティアの首都まで陥落させ、

最大領土となったことで有名である。

 

ローマ帝国領土(本書の地図から補足)

 

しかしローマに制圧された地域の人がローマを誇りにしていることは面白い事実だと思う。

・ローマに制圧されたダキアの地の現国民ルーマニア人が、

「我々はローマの末裔だ」と誇っていること。(ウィキペディアWikipedia)

・ローマの侵略を受けたブリタニア(イギリス)で、

ローマ研究が盛んであること。

 

 

3、 トライアヌスの人柄

業績よりも私はトライアヌスの人柄に強い魅力を感じた。

カエサルは桁違いの器量を感じ、雲の上の存在だが、

トライアヌスにはある種の身近さを感じる。

私のような並の人間の延長線にある存在である。

 

とにかく律儀で働き者の皇帝だった。

著者はその原動力を「属州出身の皇帝だから」だと見ている。

属州出身として初めての皇帝だからと思って人並み以上に頑張ったのだろうと。

さらにこうまで、言っている。

よくいるではないか。女でははじめてだから、とがんばってしまう人たちが

 

私は少しうがった見方だと思う。

単にそういう性分だっただけではないか。

よくいるではないか。せっせと働かなくてはおれない性分の人たちが。

 

 

4、プリニウスとの往復書簡

 

トライアヌスはビティニア属州総督にプリニウスという行政官を任命した。

そのプリニウスと皇帝トライアヌスが頻繁に手紙をやり取りした。

それが124通残っているのである。

 

その一部は翻訳されて刊行されているという。

「小プリニウスとトライアヌス帝の往復書簡」(こういう名前かどうかは?)

国原吉之助訳(講談社学術文庫)

 

要するに属州統治に関する報告・問い合わせ・それに対する皇帝の回答である。

その断片を読むとトライアヌスの人間性が生き生きと浮かび上がってくる。

私はトライアヌスにほれ込んでしまった。

 

著者塩野七生も同じような感想を書いている。

その記述がまた面白い。

重厚な肖像ばかりを遺したトライアヌス帝の、素顔をのぞき見る想いになる。

つまり、笑ってしまう

 

 

その断片が紹介されている。

その一部を挙げると下記のとおり。

 

プリニウス)

トライアヌス

プルサの浴場建設の許可を求めてきたのに対し、

市の財政に負担をかけないこと、運営費も保証できること、が満たされれば許可してもいいと回答している。

 

ニカイア市が建てた劇場・体育センターが、大規模すぎて崩れ始めており、

どうすればよいかの問い合わせに対し、

 

ギリシャ人は身の丈に合った規模を知るべきだと苦言を呈している。

 

ニコメディアの水道設備工事のため専門家の派遣を要請してきたことに対し、

 

こちらも専門家をギリシャから招いている状況だ。そちらで探せ、と突き返している。

キリスト教信者への対応について

キリスト教信者という理由だけで処罰していいのか?という疑問があります。

邪教を信じているというだけで、それ以外に悪いことはしていないのです。

それ故私は、(少なくとも)棄教したものは無罪としたい。

 

あなたの対応は適切であった。

このような問題を帝国全土で一律に規制するのは無理なのである。

キリスト教徒狩りのような、追い詰めることはしてはならない。

ただし正式に告訴され自白したものは処罰されるべきであるが、棄教者が悔い改めれば、過去はどうであれ免罪に値する。

 

 

何かサラリーマン生活を彷彿とさせるやり取りである。

上司がこれだけこまめに回答をくれると、担当者も奮い立つだろうと思う。

 

 

トライアヌスの手紙は本人が本当に書いたものか?

これについて著者は論じている。

皇帝が一属州総督の手紙にいちいち返事を書くだろうか?

という疑問である。

 

これについて著者はこう言っている。

「学者の結論はトライアヌスの口述筆記だ」という。

そうであるが文章はトライアヌスの言葉である。

 

言おうが書こうが、自分の口から出る言葉に責任をもつ人の文章であるからだ

つまり実際に書いたものではないにしても、

トライアヌスの言葉であることは間違いないということである。

 

プリニウスは真面目で謙虚な人物であった。

それを見込んでトライアヌスは彼をビティニア属州総督に任命した。

トライアヌスはにこにこして往復書簡のやり取りに応じていたのではないか。

「俺の見込んだとおり一生懸命やっているナ」と。

 

 

5、武人としての厳しさ

 

一方でトライアヌスは武人としての峻厳さを垣間見せることもあった。

 

近衛軍団幹部を抹殺

近衛軍団幹部が先帝ネルヴァを監禁してドミティアヌス暗殺の真相追究を迫ったことがあった。

トライアヌスは秩序違反だとして、皇帝になった直後に呼び出して抹殺した。

 

アルメニア王の殺害

パルタマシウスパルティアの支援でアルメニア王となった。

トライアヌスがアルメニア近くに出兵してきたときに、弁明のために訪れたが、ローマに無断でアルメニア王になったとして抹殺された。

捕虜となったローマ軍の軍団長を見殺し

ダキア戦役の最中、ダキア王はあれこれと和平を求めてきた。

捕虜となったローマ軍の軍団長と引き換えを条件にした。

しかしトライアヌスはこれらの提案を一切無視。

 

 

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